「南部めくら暦」は古くはただ「めくら暦」とか「座頭暦」と呼ばれていました。
この「めくら」は「明めくら」つまり文盲の事で文字の読めない人のための暦という意味です。
最近では「めくら」の意味を差別用語とする人がいますが「めくら暦」は文字の読めない人々にも暦の恩恵を分け与えようという温かい気持ちから考案され、200年にも亘って愛用された郷土の文化財です。
旧南部藩領には所謂「めくらもの」と呼ばれる絵文字だけで記された「めくら経」や「めくら道標」「めくら暦」などがあり、このうち「めくら暦」には「田山暦」と「盛岡暦」の二種類がありました。
田山暦は岩手県二戸郡安代町の田山で作られた暦で橘南谿の「東遊記」などで紹介され江戸時代後半には江戸や上方の好事家の間で大変珍しがられました。
田山暦は伊勢暦と同じく折本に仕立てられ、その制作にあたっては絵文字を彫った判を一つ一つ丁寧に押したもので部数もごく僅かで、今日では天明三年(1783)以降のものが数点残っているに過ぎません。
いっぽう、盛岡暦は城下の藩御用の印判刻彫刷物、舞田屋が創めたもので、今日一般に「南部めくら暦」と呼ばれているものはこの系統に属します。
半紙一枚大の版木で刷った略歴風で僅かな紙面に一年間の主要な歴註が上手に割付けられています。
盛岡暦の最も古いものは文化七年(1810)暦で、手軽に大量に印刷出来るので値段も安く南部藩領の人々の間で広く愛用されていました。(そのため保存されていない)
その後、何度か発行が途絶えましたが郷土の先人の努力によって伝統の燈が守られ今日に至りました。